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大健闘!その裏に岡ちゃんの反骨心/日本

試合後、号泣する駒野に声をかける岡田監督とイレブン(撮影・栗山尚久)
試合後、号泣する駒野に声をかける岡田監督とイレブン(撮影・栗山尚久)

 【プレトリア(南アフリカ)=30日】岡田ジャパンがパラグアイ代表と激闘を演じ、PK戦(3-5)の末に敗れた。日本代表を率いた岡田武史監督(53)は「私の勝利への執着心、執念が足りなかった。私の力不足だった」と、敗戦の責任を一身に背負った。強国ぞろいの1次リーグを2勝1敗の好成績で2位通過し、目標のベスト4へ肉薄したが、最後は南米の試合巧者に屈した。岡田監督に続投の意思はなく、07年12月に発足した第2次岡田体制は終了。日本代表はこの日、帰国の途についた。

 疲れ切った岡田監督の体を黒人女性の力強い歌声が包み込む。戦い終えた指揮官は帰国する。ホテルの黒人女性スタッフが心をこめたアカペラを背に、万感の思いを込めて言った。

 岡田監督 あと1試合戦わせてやりたかった。100%の力を出せば勝てると、私は選手に言った。なのに勝たせてやることはできなかった。私の言葉はうそになってしまった…。

 眠れなかったのか、目は赤い。メガネの奥、その瞳の周りは潤んでいる。

 岡田監督 一晩たっても、悔しい気持ちは変わらない。ただ、サッカーのことは当分考えたくない。今は家に帰りたい。そして当分は、どっかに消える。

 そこには精根尽き果てた、岡田監督が立っていた。

 パラグアイにPK戦で敗れると、1人ずつ選手を抱きしめて回った。駒野が泣き、駒野を抱きかかえて松井も泣いた。みんな、泣いて目を腫らして、8強を前にピッチに突っ伏した。

 岡田監督 オレもグッと来たよ。

 岡田ジャパンは、常に選手と一枚岩だったわけではない。きれいごとでは済まされない、ドロドロとした感情のぶつかり合いは何度もあった。

 2月14日の東アジア選手権で韓国に1-3で敗れ、チームのほころびはどんどん大きくなっていく。それを肌で感じながら、岡田監督は選手に規律を求め、外部への不平不満をもらさないよう情報を統制しようとした。しかし、事態は悪化する。3月3日、アジア杯予選バーレーン戦では、引き分け以下で、日本協会は岡田監督を支える新任のスタッフの加入を視野に入れていた。5月24日の韓国戦で0-2で完敗すると、岡田監督は犬飼会長に対して口頭で進退伺を伝えた。チーム内に修復不可能な亀裂が入った。

 その亀裂が、岡田ジャパンが結束を固める1つのシグナルになっていく。6月4日のコートジボワール戦で、亀裂は爆発する。0-1のハーフタイムで、岡田監督は闘莉王の攻撃参加を自粛するように伝える。しかし、攻めに執着する闘莉王は聞く耳を持たない。岡田監督は中沢に闘莉王の説得を託すが、反対に闘莉王は選手を集めて、自分たちの判断を尊重して戦おうと、団結を呼びかけた。完全に岡田ジャパンは死に体になっていた。

 実はW杯直前のスイス合宿中に、チームキャプテンの川口が岡田監督に選手の思いを集約して伝えている。岡田ジャパンの原則である、前線からのプレスに対し、チーム内からは疑問の声が上がっていた。「無理に前線から追い回しても限界がある。もっとブロックをつくって守るやり方もある」。こうした選手の言葉を代弁した川口の進言に、岡田監督は理解を示した。

 この日、岡田監督はチームの戦い方について、初めて具体的かつ明確な説明を行った。

 岡田監督 守備というのはまじめにきっちりやれば、誰にでもできる。守備はいろんなやり方がある。だが、攻撃はセンスが必要になる。そこで(得点力、決定力のある)本田が必要になる。だけど本田は前線から追えない。だから(守備を)どうするんだ、ということになる。全体を考えてチームの戦い方を考えた。

 選手の肉声に耳を傾け、自分の信念、理想のサッカーを曲げてまで、「勝つ」サッカーを追求した。

 岡田監督がパラグアイ戦でみせた戦いぶりに、なんら恥じるものはない。4-3-2-1の守備的な形から入り、後半にかけて岡田監督は勝負に出た。MF遠藤を前線に上げて、点を取りに行った。「リスクを冒してでも点を取りに行った。点を取って勝つ。私は勝って世界を驚かせると言った。だから、点を取って勝つんだと、ずっと選手には言ってきた」。

 パラグアイ戦で得点のチャンスは何度かあった。その倍近く失点のピンチはあった。ことごとく中沢、闘莉王、川島を中心に、文字通りに壁になって、シュートを体に当てて防いだ。それでも、失点覚悟で攻めを決断したところに、最後の最後で勝負をかけた岡田監督の真骨頂があった。

 岡田監督を支えてきたのは、絶賛と批判を繰り返す世の中への反骨心だった。W杯予選真っ最中だった08年、岡田監督の言葉は痛烈だった。

 岡田監督 オレは今でも忘れない。フランス大会で非公開練習をした時、浴びせられた言葉を。「お前は代表の様子を世の中に伝える義務がある」と言われた。非公開練習はサッカー界では常識だった。それを一方的に断罪された。それも代表監督を「お前」と呼ぶ、その見下した光景を忘れられない。

 日本初のW杯出場を決めた岡田監督は、カズを外して一夜にして大罪人のように扱われた。世の中の評価に翻弄(ほんろう)されながら、その非条理を常に頭に入れて戦ってきた。

 選手と戦い、世の中の評判と戦い、そして結果を出そうともがいた。結果を待ってから批判も称賛も選べる世間の評判に対して、旺盛な敵対心を持ち続け、それをエネルギーに変えた。この日、何度も岡田ジャパンの評価について質問され、「それは皆さんが決めてくれれば」と精いっぱいの言葉を返した。

 前夜遅く、八重子夫人に国際電話をかけた。

 岡田監督 家に帰る時間だけ伝えた。向こうも朝早かったから。だけど、(遠距離の国際電話で)言葉のやりとりが遅れるから変な感じがしたよ。

 身につけていたよろいをどんどん脱ぎ捨てていくように、岡田監督の言葉からとげが抜けていく。今にも泣きだしそうな真っ赤な目をしたまま、岡田監督は最後の言葉を振り絞った。

 岡田監督 16強に入ったけど、1回の結果で判断をしたらいけない。まだまだの部分もあるし、これからW杯に出られるかどうかも分からない。まだ日本はそういう状況。大きな目で見ないと。

 誰も大きな目で岡田ジャパンを見てくれなかった。そんな恨みつらみを、最後までぐっとこらえた。

 岡田監督 日本のサッカーを、もうこれ以上背負えないよ。

 53歳、仕事を終えた男の本音が、岡田ジャパンが南アフリカに残した最後の足跡になった。【井上真】

 [2010年7月1日9時56分 紙面から]


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