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2010年7月07日

マラドーナになれず、ドゥンガはいなかった

 マラドーナ監督のアルゼンチンが、大会から消えた。ドイツの固い守備に自慢の攻撃力が空回り、期待のメッシもノーゴールに終わった。前日にはドゥンガ監督のブラジルがオランダに敗れた。先制点を奪うなど圧倒的に優勢だったが、同点にされると退場者を出して自滅した。南米の大会かと思われたが、ベスト4に残ったのはウルグアイだけ。南米の2強国が、相次いで敗れてしまった。
 マラドーナ監督は「マラドーナの大会」と言われた86年大会のような圧倒的な攻撃力を目指した。メッシを自分にし、全員でメッシをサポートさせた。メッシ自身は得点はなかったが、攻撃のリーダーであることは間違いなかった。素晴らしい突破からチャンスをつくり、最後はイグアイン、テベスが決めてきた。

 ドゥンガ監督は、自らボランチとして活躍し「堅実なブラジル」と言われた94年大会と同様に、まず守備からチームをつくった。チームワークを重視し、個人技よりも忠実に指示を遂行できる選手を集めた。「守備的すぎる」と批判されても「勝つため」と現役時代同様に信念を貫いた。
 ともに「選手と監督としての世界一」を目指した。過去達成したのはブラジルのザガロとドイツのベッケンバウアーだけ。1次リーグ、決勝トーナメント1回戦と快調に勝ち上がり頂点に迫ったが、夢をかなえることはできなかった。

 メッシはドイツの厚い壁にはね返された。自陣でドリブルを始めても、ゴールは遠かった。DFラインを相手に仕掛けられればよかったが、ボランチの手前からでは最終ラインに届かなかった。相手もマラドーナの時代のように、スペースを与えてくれなかった。
 ブラジルは精神的に崩れた。同点にされてからは相手の勢いに押され、逆転されて焦り、退場者まで出した。監督の指示に忠実な選手はいたが、強烈なリーダーシップで流れを変えるような選手はいなかった。ドゥンガの時代のように、1人の力で流れを変えられる展開ではなかった。

 結局、メッシはマラドーナになれなかった。ブラジルにはドゥンガがいなかった。監督の思いは届かず、南米の2強国は頂点には立てなかった。90年大会決勝トーナメント1回戦で対戦した2人。世界中のファンが楽しみにしていた今大会決勝での「再戦」もかなわなかった。あれから20年、世界のサッカーは2人の監督の思い以上に、大きく変わっていたのだ。


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荻島弘一(おぎしま・ひろかず)
 1960年(昭35)東京都出身。84年に入社し、スポーツ部勤務。五輪、サッカーなどを担当して96年からデスク。出版社編集長を経て05年から編集委員として現場取材に戻る。

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