2010年5月20日

＜矢野貴章：取材後記＞
　「１３」から先が数えられなかったという。南アＷ杯に乗り込む日本代表選手の発表。ＦＷ矢野貴章（２６）の兄、晴之介さん（せいのすけ、３３＝日体大女子サッカー部監督）は、新潟市内にある弟の自宅でテレビを見ていた。
　岡田監督が、ＧＫから順番に名前を呼び上げる。１人、２人、３人…。２３人目まで数えるつもりだった。ＦＷが最後になるのは分かっていた。だが、記憶にあるのは１３人目に呼ばれたＭＦ中村憲まで。そこから先が数えられなかった。２１番目にＦＷ大久保の名が出たあたりで、貴章が「もうないな」とつぶやいた。その直後、最後の２３番目に矢野の名前が呼ばれた。

　晴之介さん　ボクが大声出して、隣の貴章に抱きついた。貴章は「痛い、痛い」と言って笑っていましたね。

　兄弟で喜びを分かち合う、最高の時間になった。しかし、兄が新潟を訪れた目的は違っていた。

　晴之介さん　もちろん選ばれると信じていたけど…もし落ちた時に一緒にいてあげたかったんです。きっと何も声をかけてあげられなかったと思うけど、そばにいてやりたかった。

　晴之介さんが８歳になる年、貴章が生まれた。年の離れた弟。「生まれた時から、かわいくって仕方がなかった」。一緒に遊べるようになると、いつも連れて歩いた。思い出すのは２人の定番コース。
　１００円ずつのお小遣いをもらうと自転車で駄菓子屋へ行き、お菓子を手に農協グラウンドへ寄って２人でボールを蹴る。

　晴之介さん　貴章は「アイス」とか、高いものをビシッと買う。それで５０円とか１００円使っちゃう。思い切りのいい買い方でしたね。ボクは１０円のチョコとか５円のアメとか小さいものを買うから、種類がたくさんになるんですよね。

　アイスを食べ終えた弟に、晴之介さんはたくさん買った菓子を分けてあげる。２人でボールを蹴り、菓子を食べ、またボールを蹴る。楽しい時間だったという。
　今は別の道を歩んでいる。住む場所も、目標も違う。しかし、今も矢野兄弟は一緒に歩んでいる。
　取材が終わり、別れる時に晴之介さんに言われた。「新潟へ取材に行くこともありますか？　もし貴章の態度が大きくなったり、一生懸命やっていなったら怒鳴りつけてやってください。お願いします」。
　この兄がいる矢野に、そんな心配は不要だろうと思った。【飯島智則】