気がつけば…ノムラ哲学に影響受けていた
2010年3月16日
<野村克也・取材後記>
野村克也さんの勝負に対する鉄則は何度聞いても新鮮だ。ヤクルト担当時代(94、95、98年)に、その考え方の根底にある原理原則は何十回となく耳にしてきた。
「無視」→「称賛」→「非難」。周囲の反応はこういう順番で変わっていくものだと、ヤクルトのアリゾナ・ユマキャンプで教えてもらった。真っ青な抜けるような青空の下、パイプイスの野村さんの前で芝生に座って話を聞いた。
無視。まず、最初は誰からも相手にされない。何をしても怒られもしないし、ほめられもしない。これが人間関係において初手に来る。その無視から、回りに存在を認められるようになると、今度はほめられるようになる。これが称賛だ。いい働きをすれば周囲はこぞってほめる。しかし、これはまだ序の口。
称賛が続くようになると、今度は非難への道が開く。称賛は次第に嫉妬(しっと)、ねたみを含むようになり、称賛すべき働きがあっても、正当な評価はどんどん薄くなっていく。そして、非難をされる中で、周囲を黙らせる本物の働きが求められるようになっていく。
ユマで聞いた時には、野村さんの意味するものの10分1も理解できなかった。しかし、年月がすぎるにつれ、その言葉の意味が自分なりに分かるようになってきた。
称賛を求めることだけに夢中になっていては、本当の姿は見えてこない。非難を恐れていては、本物の仕事はできない。解釈の仕方は人それぞれだけが、自分の人生においても、野村さんの言葉は当てはまるのだと、テレビで野村さんを見るたびに思い起こしていた。
キャンプ中は午前中10時すぎに、野村さんはコーヒーを片手に、どっこいしょっとイスに座って話し始める。さて昼飯かと、腰を上げるのは1時ころ。再び2時前にイスに座ると、さて帰るかと引き上げるのは、夕方だった。練習は終わり、用具も片付けられ、それでも担当記者を相手に話はつきなかった。哲学あり、人のうわさ話あり、野球の技術論あり、昔話あり。その中にちゃんと日々の原稿のネタを、さりげなく挟み込んでくれていた。
「人間は幸せになるために生きている」。これも野村さんの大切にしてきた言葉だった。だから人間としての魅力を磨けと、報道陣にも熱く語り続けた。ふと質問したことがあった。「プロ野球選手は、野球で成功することを人生の目標にしているとしたら、野球で成功しなければ、幸せは来ないんじゃないですか」。
すると、野村さんはじっとこちらの目を見ながら言った。「確かに野球で成功することが幸せに直結するかもしれない。しかし、どんなに優秀な選手も一生現役でいることはできない。必ず引退後の人生がはじまる。そしてその人生の方がはるかに長く、はるかに人のためになることができる。だから、野球が終わったら、何も知らない、ただの野球がうまかった大男になってはいけないんだ」。
先日、野村さんとの会話はほんの数分だった。でも、あの低音の声を聞いたとたん、ユマキャンプでの光景が鮮明に浮かんできた。取材対象者として、ネタになる野村さんのキャラクターも強烈だった。しかし、それ以上に皮肉屋で知られる野村さんの考え方の根底にある哲学に、知らず知らずに大きく影響を受けていた自分を知った。
これだけ短時間で野村さんの考え方の一端を文字にできる自分自身に対して多少の驚きがある。野村さんの考えを正しく理解し、正しく伝えているかは100パーセントの自信はないが、自分のオリジナルの部分も含め、野村さんの言いたいことはこういうことなのだろうと、そしゃくしていると自負できる。
95年のユマキャンプで、あまりに長い野村さんの話に飽きて、野村さんが座っている場所から100メートル以上も離れて、鉄棒で暇をつぶしていた。学生のころにできたけ上がりに何度も何度も挑戦したが、最後までできなかった。
そんなことでたっぷりさぼって、素知らぬ顔で野村座の輪に加わったのが夕方。そのまま、野村講義も終わり帰る間際、野村さんに言われた。「お前の鉄棒はあきらめるからだめなんだ。できないと思いながらやってるからだ」。
筋力も落ち、体重も増え、「け上がりなんてできるはずがない」と思っていた心理をずばりと言い当てられた。驚きとともに、多少の尊敬のまなざしを野村さんに向けていたら、野村さんの興味はもう別に移っていた。地元ヒスパニック系の青年のバットスイングを見ながらぶつぶつ。「あれは野球経験者のスイングだ。なぜなら、あの腕の使い方は…」と話し出した。
野村さんの人にまねのできない部分として、無尽蔵の好奇心と観察眼がある。そのタフネスぶりを、先日の会話で、同じように感じることができた。毒も放つが、教訓もたっぷり込められている。取材活動の中で、野村さんを直接知ることができたのは運が良かった。ちょっとだけ得した気分になれた。【井上真】
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