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【Sawbona! W杯】元主将井原氏の「主将論」-2

2009年7月14日

様々な主将像

 若いころの代表では、闘将と言われた柱谷の姿を見てきた。試合中でもミスした選手には周囲の目を気にせず、容赦なく雷を落とす先輩の印象は強烈だった。存在感もあった。しかし主将となった井原は、柱谷とは180度違う方法で選手に接した。

 井原氏 僕も練習中や試合中に怒ったことはあるが、言われた選手が落ち込まないように、言い方は自分なりに考えた。でも怒るよりは、前向きな言葉をかけて激励したことが多かった。キャプテンシーの表現はそれぞれ違うし、僕は強い口調でいうより、先頭に立って頑張る背中を見せることで、やる気を起こさせた。それに、今振り返ると、怒る必要もなかった。どんな状況でもみんな「初めてW杯にいくんだ」という気持ちが強くて、ほっといてもみんな頑張っていたし、余計な口出しをする必要もなかった。「初のW杯」をキーワードに固く結束していた。

 常に冷静にイレブンをまとめてきた井原主将が、最も戸惑ったのが、本大会直前のあの出来事だ。スイス合宿中、カズ、北沢、市川の3人がメンバーから外れた。特に、一緒にチームを引っ張ってきたカズと北沢の落選は、井原にとってあまりにも大きな衝撃だった。

 井原氏 昼食会場で監督から、外れるメンバー3人が伝えられたが、すでにその場にはカズさんとキーちゃん(北沢)はいなかった。日にちも忘れない。6月2日だった。特にカズさんは予選で一緒にチームを引っ張ってくれた人だったので、個人的にショックだった。キーちゃんもそう。僕は激しく動揺し、周りを見渡したが、みんなは淡々と受け止めていた。みんな冷静で、主将の僕が一番動揺しているように思えた。心の乱れからか、その日の午後、ゲーム形式の練習で、右ひざの靱帯(じんたい)を痛めた。痛み止めのクスリを飲み、6月14日のW杯初戦にはギリギリ間に合ったが、ケガした直後は「オレもW杯に出られないかも」と落ち込んだ。


 ◆井原正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日、滋賀県水口町(現甲賀市)生まれ。守山高、筑波大を経て、90年に日産自動車(現横浜)に加入。DF、守備的MFとして同チームの黄金時代を築いた。00年磐田に移籍。翌年には浦和に移籍し、02年シーズン限りで引退した。日本代表には大学生時代から選ばれ、98年W杯フランス大会に出場。国際Aマッチ通算122試合は歴代最多。北京五輪コーチを経て今季から柏ヘッドコーチ。現役時代のサイズは182センチ、74キロ。家族は夫人と長男。血液型0。


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