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【Sawbona! W杯】元主将井原氏の「主将論」-1

2009年7月14日

 日本が初めて世界の舞台に立った98年6月、W杯フランス大会。日本が世界へ、第1歩を踏み出した同大会で、30歳のDF井原正巳は、キャプテンマークを巻いてピッチに立った。選手としてドーハの悲劇を経験し、主将として加茂監督更迭を乗り越えてジョホールバルの歓喜を迎え、そして初のW杯へ。現在は指導者(柏ヘッドコーチ)になった井原氏に当時を振り返ってもらい、日本代表の「主将論」を語ってもらった。

未知の世界

 今は出場して当たり前の感のあるW杯。しかしわずか10年前までは、W杯アジア予選は、高くて厚い壁として日本に立ちはだかってきた。釜本、ラモスら偉大な先輩たちが涙をのんだ同予選で、静かなキャプテンが、黙々と日本を支えて、世界へ導いた。

 井原氏 今でこそ、W杯は身近な大会になったが、フランスの予選までは未知の世界だった。親善試合なら楽に勝てる相手に勝ちきれない。ドーハを経験している僕は、簡単にW杯にはいけないと思っていたが、試合を重ねるうちに、みんなW杯予選の怖さは身をもって知った。90分間集中力を保つのは難しく、ちょっとしたミスが失点につながる。アジアでは強豪だったけれど、相手を圧倒できるような力はなかったし、W杯に出場した経験もなかったわけで、苦戦したのは当然かもしれない。

 数々の逆境に打ち勝った。予選の最中に、一部選手の脱税問題が報じられた。最終予選のカザフスタン戦後に加茂監督が更迭され、岡田ヘッドコーチが監督に昇格した。動揺する選手をまとめるのも主将の仕事。カザフスタンの夜、井原はチームマネジャーにお酒を用意させ、宿舎で禁止されているはずの飲み会を初めて開いた。

 井原氏 ミーティングルームに選手だけを集めてビールとワインを長時間飲みながら、結束を固めた。代表合宿中は一切アルコールは飲めないが、その時はそうした方がいいと判断した。飲み会の前のミーティングで岡田監督からは「オレについてこられないヤツは帰っていい」と言われ、雰囲気は沈んでいたけれど、飲んでいるうちに「日本国内ならともかくカザフスタンだし、どうやって帰ればいいの? 帰れといわれても帰れないよな」と、冗談も出て場が和んだし、最後は「みんなで力を合わせて乗り越えよう。もう1度戦おう」と、新たな結束力も生まれた。


 ◆井原正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日、滋賀県水口町(現甲賀市)生まれ。守山高、筑波大を経て、90年に日産自動車(現横浜)に加入。DF、守備的MFとして同チームの黄金時代を築いた。00年磐田に移籍。翌年には浦和に移籍し、02年シーズン限りで引退した。日本代表には大学生時代から選ばれ、98年W杯フランス大会に出場。国際Aマッチ通算122試合は歴代最多。北京五輪コーチを経て今季から柏ヘッドコーチ。現役時代のサイズは182センチ、74キロ。家族は夫人と長男。血液型0。


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