エースだ玉田ドーハの悲劇払拭/W杯予選
<W杯アジア最終予選:日本3-0カタール>◇A組◇19日(日本時間20日)◇ドーハ
【ドーハ=19日(日本時間20日)】FW玉田圭司(28=名古屋)が岡田ジャパンのエースストライカーの座についた。アウェーでのカタール戦の後半2分、MF長谷部からのパスをダイレクトで力強く決めた。1-0で折り返した直後の得点で敵の戦意をそぎ、3-0の快勝に導いた。W杯最終予選では2戦連発、13日シリア戦を含め3戦連発だ。日本は勝ち点を7に伸ばし、本大会出場圏内のA組2位をキープ。「ドーハの悲劇」当時13歳だった玉田が、因縁の地で、日本サッカー界の苦い思い出を振り払った。日本代表は20日、帰国した。
前半から足を止めずにボールを追い続けていた左足に、最高のチャンスが巡ってきた。ゴール前でフリーの玉田は長谷部を呼ぶ。丁寧なパスに、ダイレクトシュートで応えた。パワフルな一撃はシュート回転しながら、相手GKを圧倒するように豪快に決まった。
「直接蹴ろうと思ってました。ああやって蹴ればいいんですね…。いやあ、勉強になりました」。さわやかな笑顔がはじけた。田中達とのコンビで根気強く相手DFにプレスをかけ、ボールを奪ってはMFに預けてスペースに走り込んだ。それを繰り返すことが、チャンスにつながると固く信じていた。
記憶に残る言葉がある。6月22日のアジア3次予選のバーレーン戦で、内田のクロスが相手GKのミスを誘い、幸運な決勝点となった。試合後、岡田監督は感情を込めて言った。「オレは監督やってて良かった」。玉田はその時に感じた。「かっこよさはないけど、チームが最後まで勝つことをあきらめないから生まれたゴールだった。だから監督の言葉は忘れられない」。決定力がない、守備が甘い、と批判を受けても歯を食いしばり「いろんな意見の人がいる。でも、そういう人から認められる選手になりたい」と、悔しさをのみ込んできた。
日本初のW杯出場がロスタイムで消えた、93年の「ドーハの悲劇」の時は13歳だった。「家で漠然と、サッカーとして見てました。カズさんのプレーが印象に残ってます」。それ以上でも以下でもなかった。しかし、スタッフが因縁の地にあえて持ち込んだ当時のDVDを宿舎で繰り返し見るうちに、当時の選手たちの無念さが心にしみてきた。「15年前の悪い思い出を、いい思い出に変えられるようにやりたい」。その言葉を実行した。
試合前日、カタールメディアは岡田監督に「負ければ最後の試合になるのか」と屈辱的な質問を浴びせた。苦悶(くもん)の表情を浮かべた同監督を知って、玉田は迷わず言った。「あんまり監督のことを悪く言わないでください。監督はサッカーが好き、僕もサッカーが好き。尊敬できる人間なんです」。
負ければ岡田監督が窮地に立たされ、日本サッカーはドーハでの負の歴史に終止符を打つことができなかった。過去3分け2敗だったカタールにも初めて勝った。MF中村俊が言う。「あの2点目が大きかった。流れの中で点を奪うこともできて、あれで相手は戦意を喪失した」。10月15日ウズベキスタン戦での同点弾、そして今回の事実上の決勝弾。「エース」の働きと言っていいだろう。玉田が導いた結果は、勝ち点3以上の輝きを放っていた。【井上真】
[2008年11月21日7時55分 紙面から]
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