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元日本代表MF森島引退、30日正式発表

02年W杯チュニジア戦でゴールを決め、喜ぶ森島。左は中田英(共同)
02年W杯チュニジア戦でゴールを決め、喜ぶ森島。左は中田英(共同)

 サッカー元日本代表のJ2C大阪MF森島寛晃(36)が、今季限りで引退することが29日、明らかになった。原因不明の首痛に襲われ昨年3月からリハビリを続けてきたが、今季中の復帰メドも立たないことから引退を決意。功労者として現役続行を要請してきたクラブ側も、森島本人の意思を尊重した。30日、正式発表され、31日に大阪市内で引退会見が行われる。今後もクラブには留まる予定で、アンバサダー(普及推進役)の就任が検討されている。

 前身ヤンマー時代からC大阪一筋で18年。168センチという身長から「小さな巨人」とも呼ばれた森島がついに決断した。首痛で昨年3月31日のJ2リーグ札幌戦を最後に完全離脱。残りのシーズンはリハビリに費やし、今季は選手生命を懸けて復活を目指してきた。だが、つま先から頭まで、いかなる精密検査を受けても原因は判明しない。根本的な治療法が見つからず、いまだにランニングもできない状態だった。

 ほぼ2年間試合に不出場でも、クラブ側は「宝」として来季の現役続行を要請する考えだった。10月に入り、意見交換を含めた交渉の席が持たれた。だが、森島はプロとして自らケジメをつけた。「今年、試合に出られなければその先はない。クラブの考えはありがたいが、自分の仕事場はピッチです」。退路を断ち、奇跡を信じてきたが、復帰のメドが立たないことから、このほど引退を申し入れた。クラブ側も本人の意思を尊重した。

 起伏の激しいサッカー人生だった。豊富な運動量、ゴール前の一瞬の飛び出しを武器に日本代表でも活躍。C大阪で築いたFW西沢明訓(現清水)との名コンビは、そのまま日本代表の生命線になった。02年W杯日韓大会では、C大阪のホーム長居でのチュニジア戦で先制ゴールも決め、日本を史上初の1次リーグ突破に導いた。ゴールを決めた直後に両手を広げて喜ぶ「飛行機パフォーマンス」は森島の代名詞。Aマッチ通算64試合(12得点)は、歴代14位タイの記録だ。

 一方、クラブでは何度も試練を味わった。J1では00年第1ステージと05年、いずれも最終戦で初優勝を逃した。天皇杯も3度決勝で涙をのんだ。ヤンマー時代を含めれば3度も下部リーグ落ちしている。だが、苦しみを経験するほどチーム愛は深まった。長く、つらいリハビリ生活を耐えた心の支えは「C大阪で優勝したい」といういちずな思いだった。

 今後もクラブに残り、「アンバサダー」として普及推進活動に行う見込みだ。その先には監督での現場復帰という夢もある。「モリシ」の愛称でサポーターから愛され続けた男は、第2のサッカー人生でも夢を追い続ける。

 [2008年10月30日10時42分 紙面から]


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